ビートルズ・リバプール

ビートルズ ゆかりの地・リバプール編+MAP ビートルズ・リバプール

リバプールのビートルズゆかりの地を紹介するよ。
近年リバプールは変化が激しいよね。

リバプールは時間があれば、マジカル・ミステリー・ツアーのバスでざっくり1度回った後に、ゆっくり見学したい場所にもう一度行ってみるのも良いかも知れません。ジョンの家ポールの家はナショナル・トラストや、現地ツアーなどに予約をすると、中に入ることができます。

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ジョンが生まれた産院 と クオリー・バンク・スクール

1995年までオックスフォード・ストリート産院だった建物は、リバプールの玄関口、ライムストリート駅からも近く、現在はリバプール大学の施設の一部となっています。そして、この建物こそジョン・レノンが母親ジュリア・レノンの長男として1940年10月9日に誕生した産院です。
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ペニー・レイン

strawberry fields foreverとのカップリングで最高のシングルとなったpenny Laneの楽曲題材となった通りの名前で、リバプールを訪れるファンは必ず来る場所です。ペニー・レインといえば歌詞の最初に出てくる床屋さんですね。
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カスバ・コーヒー・クラブ

ビートルズがまだクオリーメンだった1958年に開店記念イベントに出演。ビートルズになった後も30回以上演奏したカスバ・コーヒー・クラブです。元々ピート・ベストの母親、モナ・ベストが自宅の石炭倉庫を改装して始めたライブハウスで、現在はピートの兄弟が管理しています。
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ストロベリー・フィールド

ストロベリーフィールドは ビートルズ(ジョン・レノン)の傑作、strawberry fields foreverの曲の題材となった場所でこれも有名ですね。曲はpenny Lane とのカップリングでシングルレコードになりました。
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ジョン、ポール、ジョージの通った学校

リバプール大聖堂から続くホープ・ストリートと、現在のLIPA (Liverpool Institute of Performing Arts) の旧校舎へ続くマウント・ストリートとの交差点にある広場には、彫刻家ジョン・キングの「A Case History」 というコンクリート彫刻が設置されています。
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ジョージ・ハリソンの生家とジョン・レノンの生家

ジョージは病院ではなく、この家で生まれたそうです。正に生家ですね。誕生日は古いビートルズ・ファンはずっと2月25日だと思っていましたが、ジョージ本人が90年代に24日と言ったことで、それ以降混乱しました。ジョージはこの家のことをとてもよく覚えていて、「アンソロジー」に当時の様子が詳しく書かれています。
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セント・ピーターズ教会

ジョンとポールが出会った場所として有名な、セント・ピーターズ教会です。1957年7月6日の出来事は伝説として、たくさんの書物や映画で紹介されていますね。もともと教会にゆかりが深いのビートルズのメンバーはジョンで、ミミおばさんの家「Mendips」からは歩ける距離にあります。
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ポール・マッカートニーの家

マッカートニー一家(Jim,Mary,Paul,Mike)が1956年の4月に引っ越してきたForthlin Roadの家です。同年10月にポールの母親メアリーは乳がんで亡くなってしまいます。
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ジョン・レノンの家

ジョン・レノンが母親の姉、ミミおばさんに引き取られ、5才からシンシアと結婚する23才頃まで青春時代を過ごした家です。Mendipsと名前が付いています。それ以前は母親のジュリアとペニー・レインの近くに住んでいました。
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リンゴ・スターの家とパブ The Empress

リンゴが5歳ごろまで過ごした、ディングル地区マドリン・ストリートにある生家については、本人も記憶がないと「ビートルズ・アンソロジー」にも記載されています。リンゴ初のソロ・アルバム「センチメンタル・ジャーニー」のジャケットになったパブ「The Empress」は彼の家のすぐ近くにあります。